株式市場にはハイリスク・ハイリターンが成立している?

前回の研究ノート(3)「なぜ資本にはコストがかかるのか?」に続いてもう少し資本コストのお話をしましょう。資本コストは資本が要求するリターンであって、それは事業のリスクの大きさに比例します。リスクの大きい事業に投資をした投資家はその分だけ大きなリターンを期待し、リスクの小さい事業に投資した投資家はその分だけ小さなリターンに甘んじます。これも直観的に理解しやすい理屈ですね。

つまり、株式市場はハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンの原則が実現していて、株価はその原則に基づいて釣り合っているはずだ、というのがそもそも資本コストの前提になっていて、この考え方によってCAPM理論(Capital Asset Pricing Model)の均衡収益率というものが成り立っているわけです。

企業は資本コストに応じた行動を取る?

となると、CAPM理論が想定する世界において、企業は次のような行動を取っていることになります。すなわち、企業は自社が行う事業から得られるリターンに対して相応のリスクを取ることができる投資家から資金を集めて、その資金をそのリスクに応じたリターンを得られるような事業に投資し、そこからリスクに応じたリターンを投資家に返す。

言い換えると、企業は資本コストに応じて資金を集め、資本コストに応じて投資を行い、資本コストに応じて配分を行う、そうすることによって株主価値は最大化され、超過的な価値を生むことがないかわりに、価値を棄損することもありません。これが資本コストです。資本コストは計測する対象ではなく、均衡の概念です。

人は自分にとって一番いいものを選択しているわけではない?

ところで、経済学には「効用最大化」という概念があります。効用というのは人が感じる満足度のことです。人は自分の満足度を最大化するように行動することを前提に社会の動きを見ることが新古典派経済学の特徴です。たとえば、ラグビーの試合を観に行くか、映画を観に行くかで迷った結果、ラグビー観戦を選んだということは、映画を見る価値(機会費用)よりラグビー観戦の価値の方が高いと判断したからだと考えるわけです。

つまり、人が行うすべての選択は、機会費用という見えないコストとの比較を意味します。言い換えると、人は実は「一番良いものを選んでいる」のではなく、「2番目に良いものを捨ててもなお得なもの」を選んでいる。これが効用最大化の本質です。

われわれは直接的に自分の効用を観測することはできません

この効用最大化の概念が資本コストに少し似ています。投資家もやはり効用を最大化するように投資を行います。投資家にとっての効用は、最終的にはリターンとリスクで表現されますから、他の投資への期待リターンの機会費用という意味で、これはまさに資本コストです。投資家が効用を最大化することによって市場で株価が釣り合っているというのがCAPM理論の主張であり、それを成り立たせている均衡の概念が資本コストというわけです。

人の効用が、心の中にあるけど見えないのと同じように、企業の資本コストも、市場の中にあるけど直接は見えないものなんです。CAPM理論による均衡収益率で計算される資本コストは、あくまで推定値であって、投資家の効用から生まれる「真の資本コスト」ではありません。

資本コストを意識するって本当ですか?

コーポレートファイナンス理論を勉強すれば、資本コストを計算することはできるようになりますが、それでもわれわれは本当の意味での資本コストを知ることはできません。われわれは「どちらが好きか」とか「どちらが満足できるか」を感じ取ることはできます。しかし、それを数値として正確に把握しているわけではありません。あくまで選択という行動を通じて、間接的に「効用」を認識しているに過ぎません。

このように考えると、ましてや「資本コストを意識する」などということは不可能です。それはあたかも「あなたの満足度を意識して生きていけば今よりお金持ちになれますよ」と言っているのとあまり変わりません。