資本コストは推計することができます
資本コストの話はそろそろいったん区切りをつけようと思うのですが、ここではもう一度だけ話題にします。これまでお話してきたように、投資家の効用(満足度)から生まれる資本コストを正確な数値として把握することはできません。しかし、ある意味で機械的に投資判断を行わなければならない場合には、市場データやモデルを用いて推計することが可能です。その方法の一つがCAPM理論による均衡収益率の計算です。
投資家が効用最大化の中で感じている機会費用を、市場が期待リターンという形に置き換えて表現したものが資本コストであると考えれば、過去どれくらいのリターンを実現したのかという株価のデータを使って、将来の期待リターンを具体的な数値として推計することができます。ここはまさにファイナンス理論が株式市場という便利で巨大な自然実験の場を持っていることの強みとも言えます。
株式に投資をするとだいたいどれくらい儲かるのか?
たとえばTOPIXとか日経平均とか、株式市場はリスクに対して過去どれくらいのリターンを実現したのか?さまざまなデータのとり方や計測方法があるので、意外と単純には言えないのですが、実務的にはだいたい6~7%とされています。これは言わば一般に株式を買うというリスクを取った人が純粋に得たリターンです。投資金額が年率7%で増えたとして、これを計算すると50年間でおよそ30倍、仮に50年前に100万円を株式に投資していたら現在約3,000万円になっていたということになります。これが株式投資の威力とも言えますね。なにしろGDP成長率を圧倒します。
ところで、銘柄によっては市場全体よりも儲かったものもあれば、それほど儲からなかったものも当然あるはずです。そこで、市場全体の動きに対して個別の銘柄がどの程度連動して動くものなのか、具体的には、市場全体が1%上昇したときに、その銘柄が何%上昇または下落するかという感応度を数値化できるとなお便利です。これをベータ値と言います。
市場全体のベータ値を1.0として、市場全体が1%動くと1.5%動く銘柄はベータ値1.5、つまり市場の動きに対する感応度が相対的に高いということになります。逆に、市場全体が1%動いても0.5%しか動かない銘柄はベータ0.5です。それだけ株価の動きが緩やかな銘柄と理解できます。
事業によって資本コストは異なります
ベータ値も各銘柄と市場全体の過去の株価の動きから推計することが可能です。そして、実際には無リスク利子率などちょっとした調整をする必要があるのですが、ここでは簡便化してイメージだけで言いますと、市場全体のリターンにベータ値をかけたものが各企業の株主資本コストとしてほぼほぼ計算されることになります。たとえば市場全体のリターンが7.0%だとして、ベータ値1.5の企業の株主資本コストは10.5%、ベータ値0.5の企業の株主資本コストは3.5%といった具合です(正確にはこれに無リスク利子率というものを足します)。
半導体やエレクトロニクスの事業はきっと景気の変動や激しい価格の動きによって株価のパフォーマンスは大きく左右されるでしょうからベータ値は高いだろうし、食品やインフラ事業などはその逆かもしれません。こうして企業が行っている事業によって資本コストは異なることになります。
資本コストとROEを比べていいのか?
さて、ここ数年、株主資本コストと企業のROE(自己資本当期純利益率)を比べて、株主資本コストよりROEが低い企業はその改善を求められています。株主資本コストはその企業が行う事業にリスクを取った株主が相応に期待するリターンでした。一方、ROEは株主が出資した自己資本に対して、株主に最終的に配分される当期純利益がどれくらいだったかを示す会計上の指標です。だから、株主資本コストとROEを比較することは一見理にかなっているように見えます。
理にかなっているどころか、これは残余利益モデルという理論モデルによっても証明されていることです。確かにまちがってはいないのですが、もう一歩よく考える必要があります。そもそも株主資本コストは長期にわたる企業への期待リターンです。いいときもあれば悪いときもあるのが事業であって、それを年平均にならしたときに計算して出てきたものが資本コストという数値です。
50年間で30倍になったというのが株式投資の魅力だとお話ししましたが、この50年の間にはバブルもあれば、バブル崩壊もあれば、震災もあれば、失われたウン十年もありました。長い間にはそういう大幅に上昇した時期も、ずっと下落し続けた時期もあって、それらジェットコースターのような上げ下げを含めて年率換算にならしたら7.0%だった(だからこれからも7.0%くらいだろう)という話です。ファイナンス理論はとても冷徹な理論に見えるかもしれませんが、「しばらくはダメダメだけど、きっといつかは花が開くだろう」という株式投資の心理を実は反映しています。そういうものが資本コストとして推計されているわけです。
毎年同じリターンなんてあり得ない
ですから株主になったからと言って、いきなり株主資本コストよりROEが低いという理由で株主還元や資産の売却によってROEの改善を要求するとか、ROE8%が実現できない企業の役員選任議案には反対するとか、これまた企業も企業でどこかで計算された資本コストに合わせて、あわててROE改善の経営計画を策定するとか、いま現実に起きている現象はファイナンス理論からするとかなり不思議に感じます。会計の規則に基づいて期間損益で計算された短期財務指標のROEと、確率分布に基づいて長期にわたる期待を表現した資本コストは、そもそも同じ土俵で比較する対象ではないはずです。
すべての企業のROEが常に株主資本コストを上回っているというようなことは、それはそれで悪くはないことかもしれませんが、そうあらねばならないという主張はファイナンスの専門家からするとむしろ不自然に感じます。ROEはまだしも、資本コストは予期せずに急騰したり、急落したりする株価の動きから長期的に推計した結果です。毎年のリターンを保証したものではもちろんありませんし、リターンの目安となるような性格のものでもありません。
理論を便利に使いすぎている?
もし毎年8%のリターンが常にほしいのであれば、投資家は株式ではなく債券を買うしかありません(もちろん8%の利回りが保証されている債券など日本にはありませんけど)。私は資本コストを計算する意味がないとか、ROEは企業評価に使えないとか、理論がまちがっているとか、そういうことを言っているのではありません。これは理論を実務で便利に使いすぎている、ということではないかと思います。ROEと資本コストの比較自体は残余利益モデルから理論的に正しいと言えます。しかし、それは本来、同じ時間軸と期待に基づいて評価されるべきものであり、単年度の実績値と機械的に比較することには無理があります。残余利益モデルの「静学的な関係」(ある一時点で成り立つ理論的な関係)を「動学的な現実」(時間の中で揺れ動く実際の経済)にそのまま当てはめているというわけですね。
株価は上がったり下がったりする、株式投資にはリスクがある、これはだれもが常識として知っているはずです。ところが、資本コストが計算できる(あくまで推計ですが)ということになると、理論の背景にあるものを忘れてしまって目の前にある判断の空白を理論で埋めたくなる。計算できるという事実が、本来見えないはずのものを「見えたつもり」にさせてしまう。その気持ち、よくわかります。でも、そのことが場合によっては誤った意思決定を正当化させてしまうことにもなります。ここに資本コストの最大の問題、というか「計算できてしまうことの罪」があるのではないかと思います。
