そもそも価値の計算には短期とか長期といった概念がない
もうひとつ「中長期的な企業価値」という表現がよく使われますが、これもコーポレートファイナンス理論からすれば極めて違和感のある言葉です。東京証券取引所による「コーポレートガバナンス・コード」も、その副題には「中長期的な企業価値の向上のために」と記しています。
コラムをここまで読まれた方にはある程度の察しがついているかもしれませんが、そもそもコーポレートファイナンス理論の価値観には、短期だとこうなるとか長期だとこうなるといった期間の概念がありません。割引現在価値の計算は企業が永久に存続する、企業がサステナブルであることをもともと前提にしています。割引現在価値という概念そのものに短期価値と長期価値の区別はありません。だから「中長期的な企業価値」というのは理論的にはややトートロジカルで、ここに違和感を覚えます。
株主価値において重要なことは、「時間の長さ」ではなく、将来キャッシュフロー予測とリスクです。たとえば、1年後いきなり価値が出る投資であっても20年後に価値が出る投資であっても、それが適切なリスク調整後の現在価値を持つのであれば、今日の株主価値に必ず織り込まれます。つまり「長期だから尊い」わけではありません。
確かに英語圏でも「long-term value」とか「sustainable value creation」という言い方がないわけではありません。しかし、これも特殊な文脈で使われることが多く、日本語ほど「long-term」という言葉そのものに規範的な意味が付与されることは多くありません。「maximize shareholder value」だけで通常は十分に意味が通ります。なぜなら割引現在価値そのものが将来を織り込んでいることが当然だからです。
道徳的な香りが漂う「中長期」
私は民俗学や心理学を勉強したことがないので、断言はできませんが、「中長期的」という表現に日本人特有の心理的な香りを感じます。「中」と「長」が一緒になるところもあいまいですが、「中」と「長」の二つが同じに並べられても「短」だけは許されない。
日本語で「短期利益追求」と言われると、それは「近視眼的」であって、目先の利益にとらわれて大局的な視点や将来の見通しを失っている印象に解釈されがちです。「我々は短期株価ではなく中長期的価値を重視しています」という言い方が、ある種の道徳的正当性を持ってしまったのではないでしょうか。
しかし、実際には「中長期」という言葉が、結論を先送りしたり、説明を回避したり、定量性を欠如させたり、あるいは現状の低収益性を正当化するためのエクスキューズに使われる、反証不可能な便利ワードになりやすいのは事実です。つまりこれは理論的表現というより、かなり政治的・文化的な表現です。
「中長期的」という緩衝表現が好んで用いられるのは、日本人にとって「株主価値最大化」という圧力に対する警戒感がそれだけ強いことの表れではないかと思うわけです。
なぜ問いが大事なのか?
さて、これまでコラムでは「企業価値」「最大化」「中長期的」という表現がいかにもあいまいに使われている現状をやや批判的に捉えてきました。しかし、これらは単に「言葉遣いの厳密性」の話ではなく、「目的関数のあいまい化」に対する問題提起です。
現在の日本企業では、企業価値、最大化、中長期的だけでなく、持続的、ステークホルダー、価値創造、社会的貢献等々、非常に好意的な言葉として流通しているけれども、具体的にはなんのことなのか明確な合意がない表現というものが多く存在している気がします。
そうなると、本来議論すべき「誰にとってどの価値のことを言っているのか?」「 なにをすれば価値が拡大するのか?」「それをどうやって測定するのか?」「どういう時間軸で評価するのか」という本質的な問題が回避されてしまいます。
だから、誰かがこのような「面倒な問い」を探究しなければ、企業にとって、経営者にとって、株主価値の拡大というテーゼに対して本当は何をしなければならないのか、次の具体的なアクションに結びつきません。本来解決しようとしている目的とはなんの因果関係もない安易な答えを導き出したり、もっとひどいときにはとりあえず形だけ作っておくといった結末になってしまうのは根本的な問いを迂回してしまうことによるものです。
本当の「実践的」とはなにか?
ここまで述べてきた概念のあいまい性は、企業価値周辺の話に限ったものではありません。企業の組織において重要なことは、概念が意思決定に変換できるかだと思います。あいまいな言葉は対立を避けるためには便利ですが、意思決定には役に立ちません。つまり、定義のあいまいさは実務上のあいまいさにつながります。
おそらくコーポレートファイナンス理論に限らず、経営学の本質は、企業の目的関数を定義することにあります。目的関数があいまいな組織では、戦略も資本配分も評価軸もあいまいになります。私は単に「定義を厳密にしようよ」とうるさく言っているのではありません。それが目的ではなくて、現状の企業行動を変えるために定義を問うべきだと考えています。つまり、これは哲学ではなく、(敢えて言いますけど)これが実践的コーポレートファイナンス論なんです。
