このコラムの発端
コラムで資本コストのことを取り上げるのはそろそろ一旦終わりにしようと思っていたのですが、最近、ある方から次のような話を聞き、再びコラムを書くことにした次第です。
アクティビストと言われるある投資家の話。この投資家が言うには、日本企業の経営者に「御社の資本コストは何%ですか?」と聞いてもだれも答えることができない。自分の会社の資本コストすら把握せずに上場しているなどあり得ない。日本企業の経営者はもっとファイナンス理論を勉強すべきだ、というのがこの投資家の主張だということです。
極めて穏当な表現を選んで申し上げるならば、このような方がプロの投資家として人様のお金を預かって運用しているとすれば、それは極めて危うい姿勢と言わざるをいえません。もしも、こういう方が企業を訪問してきた際には、まず「あなたね、いま手元に2,420円持ってない?」と聞いてあげてください。持っていると言ったら「いますぐ近くの本屋に行ってダイヤモンド社から出ている『新解釈コーポレートファイナンス理論~企業価値を拡大すべきって本当ですか?』(宮川壽夫著)という本があるから、それ買って今晩読んでから明日にでもお越しなさいよ。」というアドバイスをしていただきたいと思う次第です。
「株式投資にはリスクがあります」の意味は?
私は教室で学生にいつもいうことなのですが、株式投資にはリスクがあります。このこと自体には、教室にいる大学生もこの投資家もまず反論はしません。では「リスクがある」とは一体どういう意味でしょう?それは、株式投資をすると、得られる結果にばらつきがあるということを表しています。決して株式投資が「危険である」という意味ではありません。
だれもがばらつきがあることを認めるのは、株価の先行きはだれにもわからないからです。実は、株価は不規則に無作為に無節操にデタラメに動く(ランダムウォークする)ということが、コーポレートファイナンスにおける多くの理論の前提になっています。ランダムに現れる現象は一定の確率分布に従うことがわかっています。これは人類の大発見であり、コーポレートファイナンスを理論として体系づけているものです。確率分布という人類の知があるから、資本コストも推計できるわけです。
企業が資本コストを知っているわけがない
もう少し正確な表現をすれば、株式投資を行った事後の収益率は一定の確率分布に従うことになります。実現収益率がランダムなので、その分布に対して期待値(期待収益率)が定義されます。このように株式投資の結果を前提として、投資家自身が資本コストを推計するわけです。
どのような結果が出たとしてもそれは一定の確率で生じた結果であり、実現した収益率はその確率分布から一つの結果が現れただけ。要するにどんな結果も事前に想定された確率分布の中の出来事です。いってみればすべては予想通りの結果が出た現象に過ぎません。だから資本コストが正しかったかどうかを事後的に検証することはできません。このような世界を前提として投資家は効用を最大化しているわけです。
私、一体どこへ行けばいいんですか?
さて、株式市場において、効用最大化を行う主体は投資家自身です。自分自身の期待収益率を資本コストとして推計し、投資判断をしているのが投資家です。企業の経営者がそれに対する客観的な正解を知っているわけがありません。資本コストはそういう性質のものではありません。だから、企業に「御社の資本コストは何%ですか?」と聞く投資家の行動は「投資家である私の要求収益率を教えてください」と尋ねているのと同じことです。
いきなり見ず知らずの人から電話がかかって来て「すみません。この目の前にある交差点ですけど、どっちに曲がればいいんですか?」と聞かれたらびっくりします。聞かれた人がかなり親切だとしたら、まずどこに行こうとしていて、いまどこにいるのかを尋ねないと会話が成立しません(少なくとも「投資家との対話」はできません)。その前に、あなた一体だれよ?
東証が「自社の資本コストを正確に把握して」といっているのも同様です。「企業が資本コストを把握する」という発想そのものが、企業と投資家の役割を取り違えています。資本コストは企業が保有する情報ではなく、投資家が期待形成の中で構築する概念だからです。
ファイナンス学者としての恐怖感
もちろん企業は市場データを用いて資本コストを推計し、投資判断に利用すべきだという考え方があることは承知しています。企業がどうしても計算したければしても構いませんが、しかし、それは投資家の期待収益率を市場データから逆算した推計値にすぎないということを知っておくべきです。そこで算出された値は「客観的に真の資本コスト」でもなければ「企業が知り得るべき資本コスト」でもありません。ましてや企業の意思によって自ら設定した目標でもなければ、企業が従うべき客観的な基準でもありません。少なくとも企業が中期経営計画に掲げてROEの目標数値にするようなシロモノにはなりません。
資本コスト(CAPMによる均衡収益率)は、市場参加者の期待形成を一定の仮定の下で数値化したモデル値です。もし、これをだれかが計算しなければならないとしたら(計算しなくてもいいんですけど)、それは企業ではなく、投資家です。ただし、投資家の効用が客観的に観察されない以上、客観的な唯一の資本コスト(いわば真理)を得ることは不可能です。
くれぐれも申し上げておきますが、私は資本コストを否定しているわけではありません。ただ、巷間で流通し、東証までもが声高に唱え始めた「資本コストの推計値」というものが、モデルにすぎないという事実を忘れ去った議論に、深い危うさを感じています。推計値をあたかも客観的な真理であるかのように扱い、たとえば資本コストが8%だからROEは8%を超えなければならない。それができない企業はPBRが1倍割れていて、経営の失敗の証だ、解散価値に及ばない。このような短絡的な物言いが、あたかも正義の鉄槌であるかのように振りかざされ、経営を語ってしまうところに私はファイナンス学者としての違和感を通り越して、むしろ静かな恐怖を覚えます。
