欧米ではあまり一般的ではない「企業価値」
実は欧米では「企業価値」という表現が、日本で頻繁に使われるほど一般的ではありません。それは「企業価値」が日本語なんだから当然だろうというような意味ではなくて、「corporate value」とか「firm value」という企業価値を表す言葉を、英語で書かれたコーポレートファイナンス理論の教科書の索引で片っ端から引いてみたことがあります。企業価値ではなく、そのかわり普通に使われるのは「株主価値(shareholder value)」という単語でした。
日本で株主価値と言ってしまうと、企業にとってはなにか他人ゴトのような、排他的な気持ちになってしまいます。考えてみると、企業価値という日本語はかなり便利です。企業価値という言葉を使えば、たちまち経営者や従業員は自分たち自身が評価されている気持ちになります。もはやひとごとではなくなります。日本人の神経にずぶずぶとコタえるこんな都合のいい単語をよくも思いついたものだと改めて感心します。
英語の教科書では、「firm value」を使うときは「maximize firm value」とか「maximize value of the firm」という本来はかなりテクニカルな意味を成します。ここには日本語にある理念的・規範的ニュアンスは感じられません。おそらくこれが日本語に翻訳されたときに「企業価値最大化」という小気味のいい、あたかも独立した概念として定着していったものと思われます。
「価値」に込められる日本語特有のニュアンス
よく考えると、「価値」が含意する日本語のニュアンスは非常に特殊だと気づきます。本来「価値」とはモノが持つ機能性や有用性や重要性、あるいはそこから得られる満足度といった主観的な概念を意味します。
しかし、日本語の「価値」は抽象的で主観的であるだけでなく、どこか漠然とした「良きもの」「高めるべきもの」といった規範性を帯びやすくなる言葉です。「価値を高める」「価値のある行動」というように望ましさや向上心を含意しがちで、倫理や文化とも結びつきやすくなります。「社会的価値」などと言われると、その道徳的で理想的な響きに日本人ならもうノックアウト寸前です。
「価値」という言葉にはポジティブな方向性が自然と内蔵されています。だから先に述べた通り「企業価値」という言葉はとても便利な言葉です。その定義をあいまいにしておく方が、日本人は魔術的な肯定感と義務感のようなものに駆られるのかもしれません。
では「value」はどうか?
おもしろいことに、英語のvalueにはそこまでのニュアンスを感じません。基本は「値」であって、重要性や有用性といった中立概念が主体となります。文脈によっては、valueはさらにドライで、「expected value(期待値)」「face value(額面)」といった使われ方をしますし、「low value asset(価値の低い資産)」のようにネガティブなケースでも普通に使えます。
日本語の「価値」には「それはどれくらい大事にすべきか」という倫理や信条や規範の香りがする一方で、英語の「value」には「それがどれくらい重要か」という尺度や比較の香りがします。たとえば、「顧客価値」は日本語だと「提供すべきよいもの」感の方が強くなりますし、「customer value」は、「顧客が感じる便益-コスト」という分析概念に寄ってきます。おそらく「values」という複数形になったとき、価値観や信念を意味し、日本語の「価値」に近づくのかもしれません。
「価値」と「価格」の役割の違い
さて、「価値」に対して「価格」と言われるといかがでしょう。「価格」となると具体的で客観的な印象になります。価格は市場で一意的に決まる客観的な数字を表します。価値と価格は似て非なるものどころか役割がはっきりと分かれた別概念です。
ウォーレン・バフェットが「価格とは、なにかを買うときに支払うもの」「価値とは、なにかを買うときに手に入れるもの」と定義したとよく言われています。実際には、この定義はウォーレン・バフェットのものではなく、彼が師と仰ぐベンジャミン・グレアムが『The Intelligent Investor』(1949)で述べていることなんですが、価格と価値の役割の違いをうまく表現しています。いずれにしても「価値」と「価格」という二つの日本語の間には、その意味や使い方において大きな隔たりがあるようです。
